2009.08.19
やっぱりこうなったぜ簡易更新。
【小説】
<ポール・オースター/ムーン・パレス>
『ダンス・ダンス・ダンス』のような、『二〇〇二年のスロウ・ボート』のような、大人になりきれなかった子どもの青春小説という印象。しかしそれだけで終わらないのがオースターだろう。フォッグという名前から連想される幾多の名称は『シティ・オヴ・グラス』を髣髴とさせるし、盲目の老人エフィングに命じられて物を描写するときに感じる思い「これまで自分が、物をじっくり見ることをいかに怠ってきたかを僕は痛感した」、またエフィングが死ぬ間際に部屋をひたする描写する場面「限られた空間をとことん掘り下げるなかで、空間はいつしか無尽蔵となっていった。果てることのない世界内世界がそこに広がっていた」も意味深というか、興味深い。とりあえず言葉を重ねず、仲のいい友人に黙って差し出す(できれば自分の小さな悩みに苦しんでいるほうがいい)のが正しい使用法だと思った。
「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」
<ポール・オースター/偶然の音楽>
あまり好きじゃない。でも面白いのは否定できない。
『ムーン・パレス』からの引用を作品紹介のかわりにしようと思う。ふさわしい引用ではないけれど。
「いわばそれは世界の不可解さの結節点だった。」
「すべては結びつきの欠如と、タイミングの悪さと、無知ゆえの盲動の結果だったのだ。」
<ポール・オースター/リヴァイアサン>
オースターらしくないというか、要素とか展開だとかはいつもどおりなのに作品の構造というか物語それ自体がいつもと違う感じ。わかるかな?作品に出てくる男女のほとんどが肉体関係をもって、それぞれがそれぞれに嘘をついたり本当のことを言ったりして、それこそ芥川の『藪の中』、最近だと湊かなえの『告白』だよなーと思ったけど、たぶん本質はそこにはない。『リヴァイアサン』と『藪の中』を分ける決定的な要因の一つがp149ではないだろうか。「そんな話がありうるだろうか? 誰か他人のために、人はそこまで尽くせるだろうか? もしそうだとしたら、ファニーのしてくれたことは素晴らしいというほかない。純粋な、神々しい自己犠牲の行為にほかならない。」一見ドロドロ、混沌を極めているこの作品を支えるのはやさしさや友情、性愛まで含めたなにかおっきい愛じゃないだろうか。しかしまぁこの読みも「真実でありうる限り、これが真実だと考えることで私の気持ちは和む」といった程度のものであるに違いない。このたまに出てくる素朴な確信がオースターの好きなところなんだけどね。
<ジャック・ジョゼ/ラテンアメリカ文学史>
むずかしかったです。モデルニスモって結局なんだったのか分からない。ラテンアメリカ諸国がそれぞれの経済成長や政治との関わりながら文学を発展させてきたことは分かった――けど、いかんせん知らない作家が多すぎる。ボルヘスはともかく新進気鋭の作家たち、例えばマルケスなんかは「新しいムーブメントの作家だから」と前置きされて簡単な紹介がされていた。まずは読めってことですね。
<ジャン=フィリップ・トゥーサン/浴室>
今のところまだ読み終わっていない『テレビジョン』のほうがおもしろい。
構造が独特、だけど『ハザール事典』とか見たら普通。描写はところどころ笑えたけど話に面白みは感じなかった。あんまりね。節ごとにぶつ切りにされた文章がラディゲとかサガンを思い出した。
【漫画】
<弓きいろ/図書館戦争1〜3>
友達にすすめられて買ってしまった。原作は読んだことないけどフツーに読める面白さ。というかチラっと見たアニメよりちゃんとラブコメしてるような気がする。メディア良化vs図書館という構図が中央vs地方という構図と重なるあたり面白い。ただのラブコメじゃないぜ(たぶん
< PEACH-PIT/しゅごキャラ!8〜9>
しゅっごい!これしゅっごいよぉぉ!
と言いながら読んだ。女の子の戦い方、というものにジェンダー的な観点から突っこみをいれたりもしたけど面白いからまぁいいか。シンプルだけど決してくじけない強さがあるね。個人的にイクトとヨルの出会いの場面、「自由だにゃっ」あたりが最高でした。
<あずまきよひこ/あずまんが大王3年生>
相変わらずのあずまんがの相変わらずのリミックス。
書き加えられたところが例によって面白い。あとは読めば読むほど大阪とトモが仲いいな〜と思う。ラブラブだね。いいよおにいさんそういうの好きだよ。
『フィネガンズ・ウェイク』を入手したのでそれを読もうかなとか、たまっている雑誌を読むかなとか、そもそも図書館から借りてきた『ラテンアメリカ文学研究』を読まないとなーとか、『ハザール事典』の研究をどうにかやらないと、いやまてそのまえに就活の勉強はしてんのか俺?とかそういう感じに混乱しているのでまた更新が滞りそうです。やれやれ。
【小説】
<ポール・オースター/ムーン・パレス>
『ダンス・ダンス・ダンス』のような、『二〇〇二年のスロウ・ボート』のような、大人になりきれなかった子どもの青春小説という印象。しかしそれだけで終わらないのがオースターだろう。フォッグという名前から連想される幾多の名称は『シティ・オヴ・グラス』を髣髴とさせるし、盲目の老人エフィングに命じられて物を描写するときに感じる思い「これまで自分が、物をじっくり見ることをいかに怠ってきたかを僕は痛感した」、またエフィングが死ぬ間際に部屋をひたする描写する場面「限られた空間をとことん掘り下げるなかで、空間はいつしか無尽蔵となっていった。果てることのない世界内世界がそこに広がっていた」も意味深というか、興味深い。とりあえず言葉を重ねず、仲のいい友人に黙って差し出す(できれば自分の小さな悩みに苦しんでいるほうがいい)のが正しい使用法だと思った。
「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」
<ポール・オースター/偶然の音楽>
あまり好きじゃない。でも面白いのは否定できない。
『ムーン・パレス』からの引用を作品紹介のかわりにしようと思う。ふさわしい引用ではないけれど。
「いわばそれは世界の不可解さの結節点だった。」
「すべては結びつきの欠如と、タイミングの悪さと、無知ゆえの盲動の結果だったのだ。」
<ポール・オースター/リヴァイアサン>
オースターらしくないというか、要素とか展開だとかはいつもどおりなのに作品の構造というか物語それ自体がいつもと違う感じ。わかるかな?作品に出てくる男女のほとんどが肉体関係をもって、それぞれがそれぞれに嘘をついたり本当のことを言ったりして、それこそ芥川の『藪の中』、最近だと湊かなえの『告白』だよなーと思ったけど、たぶん本質はそこにはない。『リヴァイアサン』と『藪の中』を分ける決定的な要因の一つがp149ではないだろうか。「そんな話がありうるだろうか? 誰か他人のために、人はそこまで尽くせるだろうか? もしそうだとしたら、ファニーのしてくれたことは素晴らしいというほかない。純粋な、神々しい自己犠牲の行為にほかならない。」一見ドロドロ、混沌を極めているこの作品を支えるのはやさしさや友情、性愛まで含めたなにかおっきい愛じゃないだろうか。しかしまぁこの読みも「真実でありうる限り、これが真実だと考えることで私の気持ちは和む」といった程度のものであるに違いない。このたまに出てくる素朴な確信がオースターの好きなところなんだけどね。
<ジャック・ジョゼ/ラテンアメリカ文学史>
むずかしかったです。モデルニスモって結局なんだったのか分からない。ラテンアメリカ諸国がそれぞれの経済成長や政治との関わりながら文学を発展させてきたことは分かった――けど、いかんせん知らない作家が多すぎる。ボルヘスはともかく新進気鋭の作家たち、例えばマルケスなんかは「新しいムーブメントの作家だから」と前置きされて簡単な紹介がされていた。まずは読めってことですね。
<ジャン=フィリップ・トゥーサン/浴室>
今のところまだ読み終わっていない『テレビジョン』のほうがおもしろい。
構造が独特、だけど『ハザール事典』とか見たら普通。描写はところどころ笑えたけど話に面白みは感じなかった。あんまりね。節ごとにぶつ切りにされた文章がラディゲとかサガンを思い出した。
【漫画】
<弓きいろ/図書館戦争1〜3>
友達にすすめられて買ってしまった。原作は読んだことないけどフツーに読める面白さ。というかチラっと見たアニメよりちゃんとラブコメしてるような気がする。メディア良化vs図書館という構図が中央vs地方という構図と重なるあたり面白い。ただのラブコメじゃないぜ(たぶん
< PEACH-PIT/しゅごキャラ!8〜9>
しゅっごい!これしゅっごいよぉぉ!
と言いながら読んだ。女の子の戦い方、というものにジェンダー的な観点から突っこみをいれたりもしたけど面白いからまぁいいか。シンプルだけど決してくじけない強さがあるね。個人的にイクトとヨルの出会いの場面、「自由だにゃっ」あたりが最高でした。
<あずまきよひこ/あずまんが大王3年生>
相変わらずのあずまんがの相変わらずのリミックス。
書き加えられたところが例によって面白い。あとは読めば読むほど大阪とトモが仲いいな〜と思う。ラブラブだね。いいよおにいさんそういうの好きだよ。
『フィネガンズ・ウェイク』を入手したのでそれを読もうかなとか、たまっている雑誌を読むかなとか、そもそも図書館から借りてきた『ラテンアメリカ文学研究』を読まないとなーとか、『ハザール事典』の研究をどうにかやらないと、いやまてそのまえに就活の勉強はしてんのか俺?とかそういう感じに混乱しているのでまた更新が滞りそうです。やれやれ。
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